猿島野の大地を考える会の第一回定例会は、思い起こせば平成四年四月八日、偶然にも幸運にもお釈迦様の誕生日でした。そのお釈迦様に守られてか、平成二十三年の今日まで月一回第三木曜日の定例会を一回も休まず存続し、先月の八月はなんと二百三十四回を数えました。ゴルフ場の反対運動から始まったので、定例会の最初の頃に水質検査もしていこうということになり、並行して月一回第二日曜日の午前中、これも休まず実施してきました。水質検査は、自主的に手を挙げた会員が、ずっと責任を持ってやってきました。会の年中行事でもある、炭焼き、餅つきも、まるごと博物館のそばつくりなど、またそれを写真に収める人といつの間にか役割分担ができ、楽しくやってきました。これも、会の基本理念である「自由、平等、行動」がいつの間にか浸透した結果と、悦ばしく誇らしく思っております。
 会でこれまでやってきた行動は、すべてこの定例会ではかり、形にしてきました。ゴルフ場反対運動の時の署名集め、県や町への陳情書の提出、議会の傍聴、県内最初の立木トラスト運動、オオタカの出現でオオタカ保護の会を創り、調査や交渉、ゴルフ場の社長さんへ真摯に便りを送り続けることなど等。
 これらの働きかけにより、ゴルフ場もレイアウトの変更、オープンの延期を迫られ、話し合いを通じて環境にも配慮してくれ、私たちの会といい関係をもってオープンとなる。この経験により、環境問題に開眼させてもらった私たちの会は、炭焼きを通して普遍的な課題に向き合うようになる。これが現在の会恒例の交流行事につながっている。この後、カテゴリー「わたしの宮澤賢治かん」に紹介している「猿島野まるごと博物館」つくりに精進する。そしてこれも、会恒例のもう一つの年中行事になる。又、まるごとの中の「リサイクルハウス」も会の定例会で提案し、会員の自由参加で、全部ほとんど廃物利用で、見事なガラスの家ができ、そこが誰でもリサイクル品を自由に持って来たり持っていったりの場となり、新聞やラジオにも出して頂いたほど、定着しました。
 そして、そのリサイクルハウスがご縁で知り合った方がきっかけで、EMの存在を知りました。ちょうど、炭だけでは環境問題全体をカバーできないと思うようになった時でもあり、会として農業、排水浄化、悪臭問題、畜産分野などで、検証を重ね、確証を得ました。ちょうどその頃、環境に関心の深い旧猿島町では、住民参加型の環境基本計画を作ろうとしており、私たちの会も提案や協力をし、その後八年間続いた、職員作成による生ごみ用EMボカシの町民への無料配布制度ができました。また、ヘドロや悪臭で行政が困っていた排水路で、会の負担で会員参加で三か月間EMによる排水浄化実験をやり、会の毎月の水質検査で、EMが水質やヘドロの減少に効果があることがわかりました。そして排水対策として、現在まで続いている行政との委託事業「米のとぎ汁流さない運動、EMモニター制度」の元となりました。
 地球は、別名、水の惑星ともいわれ、水あっての生き物、私たちであるので、排水を汚すもう一つの犯人、界面活性剤入りの洗剤を減らそうと、EM液体せっけんを作り始めました。最初は手作業、次は中古の洗濯機、今は助成金に当たって小さい攪拌機で作っています。EM活性液も最初は手作業、保温も毛布。そのうち、町に体当たりで助成金を半分頂き、あとは自己返却で「百倍利器」を手にいれました。何事も決めたら行動で、これまでどうやらやってきました。そうそう、週一回の川のEM投入活動もささやかながらもう十年以上、時々魚の群れが現れ、喜ばせてくれます。液体せっけんも、自分で言っちゃなんですけど、換気扇や油回りの汚れにばっちりです。市の直売所「恵みの里」でも、手堅いファンがいて、シャンプー代わりに洗髪までしてしまう人もいます。
 「猿島町まるごと博物館」の重要な一つである「リサイクルセンター」も、住民参加型環境基本計画のシンボルとして作られました。町民が持ち込む粗大ごみの置き場として作られましたが、環境センターに運ばれる前、その中でリサイクルできるものは町民に無償提供の制度ができ、また生ごみ用のEMボカシもここで作られ配布され、名実共に住民参加型のリサイクルセンターになりました。私たちの会も共に悦び、これまたようやく当たった助成金で、スムースなボカシ作りとその制度が長く続く事を願って中古の攪拌機を寄贈させてもらいました。又、リサイクルセンターの隣に町有林があり、私たちの会も提案させてもらい市民農園ができました。その駐車場に、会ができてちょうど切れ目の良い年だったので、記念樹を数本寄贈させてもらいました。今では大木になり、そこを通るたびに歳月の流れを感じます。
 
 猿島町岩井市と合併して坂東市となり、最初は戸惑いました。旧岩井市にある坂東庁舎を初めて訪れたのは、要望書を持って。なんでも「だめで元々」、ぶつかってみるものですね。いい課長さんに出会って、要望書も誠実に対応してくれました。賢治の有機交流電燈が功を奏しました。これを今見てくれている方、ぜひ参考にして、トライしてみて下さい。いくら考えていても、それを実行しない限り、なにも動きません。定例会は、考えていることをみんなが吐き出して、そこから会が動く方向を決める場所です。「始めよければすべてよし」ではありませんが、それからは要望書を受け取る課長さんとも親しくなり、EMにも理解を示し、実行してくれ、新聞も取材に来てくれ、EM普及にもつながりました。特に学校のプール清掃にEMを使ってくれる学校がふえました。、
 定例会がだんだん熱を帯びてきたのは、いつごろからでしょうか。平成二十一年六月坂東市が、住民に五つのプロジェクト参加を呼び掛けたころからでしょうか。そのプロジェクトに私たちの会から四名の会員が仲間入りし、月二回夜2,3時間、半年間その話し合いに参加し、最終的に私たちの提案も受け入れられました。そして翌年の一月の広報誌にものりました。その一つが国で推奨している「バイオマスタウン構想」に坂東市も申請して、資源循環型社会の仲間入りをしてほしいという趣旨でした。
 会のこれまでの足跡は、ゴミ拾いからすべてが始まったので、ごみをいかに資源に変え、ごみの減量化を達成するかの一筋でした。それが、「四季の会」という部会を産み、「ユニセフエコショップ」を産み、「私の宮澤賢治かん」になり、「卵油ハウス」になり、「リサイクルハウス」になり、「米のとぎ汁流さない運動、モニター制度」やEM液体せっけんつくりにつながったのです。ごみをもったいないと思えば、これだけのものが生み出されるのです。
 会では、市に基本理念「次世代のため、元気、安心、希望を与える住民参加型、有機の里創り」に沿ったバイオマスタウン構想を実現してくれるように、三度要望書を提出しました。それに対する回答は頂けませんでした。会の思いは断ちがたく、今度は署名を集めようということになりました。そして千人以上の署名を頂き、市長室に会員たちで赴き、手渡しました。数年前、将門館建設の話が持ち上がった時、会でも反対署名を集め、中止に持ち込んだことがありました。今回はなんの音沙汰もありませんでした。このような経緯があって、会の中に次第に自然に「それでは自分たちで基本理念に沿ったバイオマスタウン坂東市に独自に創ってみよう」という気運が生まれ、「坂東市有機の里創り研究会」誕生というところにめでたく落ち着いたのでしょう。
 定例会を長く休まず続けてきた甲斐がありました。定例会万歳!