sashimano2011-08-31

 
 この名称は、ハードでもあり、ソフトでもありという二つの性質を有しています。「かん」が平仮名というところが、なぜだろうと思った方もおられるのでは。その意味でも、日本語というのは平仮名と漢字、そしてカタカナまであって、奥の深い言語文化を持っている素敵な国だと思いませんか。それを使いこなすのは大変ではありますが、日ごろ活字を読むという習慣をつけて、自然と文字に親しんでいれば、年をとっても「晴耕雨読」という言葉があるように、体というハードと魂というソフトを融合させた健全で真の意味で快適な生活を約束してくれるでしょう。
 最初から寄り道をしてごめんなさい。では本題に移って、この「かん」が平仮名であるのは、「館」というハードと「観」というソフトを内包しています。写真が示すように、古めかしく見えるこの館の中にある物も外側もほとんどすべて、「ごみひろい」がご縁で賜ったものです。現代文明とは、いかに日本が長い間培ってきた文化や歴史を壊してしまったかを象徴しています。そして、この館は平成八年に、この会の代表でもある私の夫が、仕事の合間にこつこつと三年がかりで創りあげたものです。この館すべてに使われている木材は、私が約三年間ほとんど毎日独りでやっていたごみひろいの途上で出会った、煙となって消えてしまう運命にあったものでした。もったいない精神の塊である私が、その所有者に頂き、農場に運び、大きな木枠であったものを夫が解体、私がバールで釘を抜き、素材にしました。この館を作った動機は、ごみを置きに通っていた集積場に、日本文化の生活用品がごろごろ捨てられており、もったいないと持ち帰り、たまっていった物の住みかを作ってあげたいという気持ちからでした。また、古いものを大事にしているというのが伝わり、持ってきてくれる人もいて色々の人の思いが結集してこの館が出来ました。
 もう一つの「観」は、私が宮澤賢治をどのように総括し、自分の生活の糧にしているかという観を意味します。そしてこの自分なりの宮澤賢治観が真理であると確信させてくれたそもそもの原点が、ごみひろいだったのです。「たかがごみひろい、されどごみひろい」なのです。

 私は、この独りのごみひろいの三年間の歳月が下地にあったればこそ、ゴルフ場建設反対運動に踏み切る勇気も与えられました。又、その後の全ての活動の原動力にもなりました。その一つが、「私の宮澤賢治かん」を拠点にした「猿島野まるごと博物館」の実現です。現在坂東市に「ミューズ」という博物館があるのですが、旧猿島町の頃その建設準備委員に選ばれた私は、その過程でエコミュージアムという全く新しいコンセプトを知りました。その頃、ハードの建物だけを建てて完成というのがどこでも主流でしたので、自然や生活、環境問題、文化も含めたエコミュージアムというコンセプトは、住民参加型の環境基本計画を茨城県で最初に作った旧猿島町にぴったりだと思いました。そこで、その委員会で博物館の基本理念作成の時、「町全体を博物館ととらえ、建物はその拠点とする」という条項を主張し、認められました。
 その条項が公認されたので、今度は毎月の会の定例会にはかり、話し合った結果、エコミュージアム猿島版、「町まるごと博物館」を作ろうという事になりました。場所の選定から始まり、日本文化の伝達者である、たとえばそば名人さんや漬物名人さんや木の匠さんなどを訪ね、承認を頂き、全ての場所に手作りの立札を建てて歩き、次第に形になっていきました。そして仕上げは、イラストや字の上手な次女に「猿島町まるごと博物館マップ」を作ってもらう事でした。皆の努力の結晶、ご覧下さい。 


この後、会では毎年一月に炭焼きアンド餅つき、六月に町まるごと博物館めぐりを交流行事と位置づけ、実践してきました。今では、この二つの交流行事はすっかり定着しました。坂東市になってからは、「猿島野まるごと博物館」と改名しましたが、偶然「猿島」というこの長い間慣れ親しんできた名前が残って悦んでいます。そして旧岩井市にも、このような岩井版の博物館ができれば、悦ばしいのですが。
 最後に、いつでもこの博物館は、マップにある指示に従って訪問できますので、ご活用下さい。ちなみに今年の六月は、自生農場にある「私の宮澤賢治かん」を出発して、「時間と空間を考える博物館」と「木の匠」を訪問しました。今回は、ちょっと趣向を変えて午後は、東日本大震災と今後の在り方などを、会の現在の活動などを交えながら参加者一同で話し合いました。
 会では、「会の定款」や「基本理念」に賛同して、共に活動して下さる人の入会を随時歓迎致します。