フォーラム

 二月二十一日に無事フォーラムが終わりました。お知らせの期間も短く、自分たちでフォーラムを開催するのは初めての経験で、その上、どのように話をもっていくべきか、、終わってからいつも後悔さいなまれること多しなので、終るまで落ち着かない日々を過ごしました。
 でも、当日は、60人以上の方が来てくださり、大地を考える会の会員さんも受付や撮影のほうを自主的に気持ちよく動いてくれ、大体スムースに進行し、質疑応答も活発にしてくださり、関心の高さを感じました。やはり、光合成細菌が放射能を減らすということが一番の関心ごとだったような気がします。
 最後に、約一か月ですが光合成細菌を使った生ごみ処理のモニターさんを募集したのですが、光合成細菌500ccを入れたスプレーの容器を50人分用意したのですが、帰りに長い列ができて、気持ちが通じたような気がして、今回は後悔もなく、フォーラムの翌日二月二十二日のすがすがしさは、心配していただけに忘れられない日になりました。そうしたら、その日は猫の日ということで、猫好きな私は余計うれしくなりました。
 下に、フォーラムでの私の話の内容を載せさせていただきます。

             安全な資源循環型社会を目指して(歌も添えて)
                  坂東市独自のバイオマスタウン構想を発信しよう

 みなさんこんにちは。今日は、お忙しい中をお集まりくださいまして本当に有難うございます。先日丁度、猿島野の大地を考える会の、月一回の定例会が240回目を迎え、会発足以来20年がたちました。その記念すべき定例会で、若い会員さんが「今度のフォーラムの時間帯は、丁度お昼を食べて眠くなる時間だから、できるだけ眠くならないように気を付けて下さい」と言ってくれました。できるだけがんばりますので、ご協力よろしくお願いいたします。
 今、日本は、昨年の311で、完全に自分たちの中から、元気、安心、希望が奪われました。これを教訓に、自分たちのライフスタイルを見直して、一人一人が変わっていかないと、日本はお先真っ暗な気がします。
 今、文明のせいで、世界が一つのグローバリゼーションの中で、情報が乱れ飛び、私達はその情報の渦の中で、大海に放り出された小舟のような存在で、自分たちの進むべき方向を見失っています。私達も便利、快適、物質的豊かさばかりを追い求め、次世代に借金のつけをまわすような生活をしてきたところがあります。地球温暖化、気候変動、そして決定的ともいえる今度の放射能問題。この問題は、いま根本的に解決できない上に、「臭い物にはふたで」一時的にかたづけるだけで、これから国は天井知らずのお金が必要になり、放射能孫子の代になってもなくなるかわからない、そんな絶望的ともいえる状況に今、日本は置かれています。こんな状態の中から、元気、安心、希望を見つけて生きていくにはどうしたらよいかが今、日本中、いえ、世界中で問われています。私は、このフォーラムで、生ごみを通して、その答えの一つとなるかわかりませんが、それを提案し、訴え、皆様とつながっていきたいのです。よろしくお願いします。
 私は脱線する傾向があるので、その答えと思っている事を、最初に言わせてもらいますね。それは「次世代のため、元気、安心、希望を与える住民参加型の有機の里」を坂東市に皆で作って、外に発信し、他の所も有機の里を作ってくれれば、日本がだんだん元気になっていくのではないか。皆さんの力を結集して、坂東市有機の里の最初の発信基地にしていけたらというのが、私の答えであり、願望でもあります。そして、その有機の意味ですが、有機というのは生命を意味し、微生物と動物と植物、これが三つつながってうまく循環していること、人間同士もこの頃よく今言われている、絆でつながっているということを意味します。
 具体的に言うと、昔の人の生き方、暮らし方に少しでも近づきましょうと言う事です。
例をあげますと、江戸時代に、日本に来た外国人が、江戸の町があまりにも整然として、においがないのに驚いたのだそうです。どうもその頃のパリは、人間のし尿のにおいがひどかったようで、どうして江戸はこんなにきれいなのかと思ったそうです。どうしてかと思ったら、江戸の町のし尿は、お百姓さんが全部荷車で、お米や野菜と交換で持って行ったのだそうです。そういえば、私が子供の頃、畑の片隅に屋根のついた肥溜めがあって、不思議とそこからし尿のにおいがしていなかったんですよね。今思うとそこにしばらくためておいて、微生物に分解させ完熟させてから、肥料に使っていたんですね。し尿とお米や野菜を交換して、一つもごみを出さないどころか、再利用してしまう。これは知恵以外のなにものでもないですね。
日本の伝統的な保存食でもある味噌、醤油、酒、納豆、漬物、たくあんなども、腐らせるのはもったいないと、全部微生物に働いてもらって、生み出されたものですよね。顕微鏡もない時代に微生物という目に見えないものがみえていたのですから、知恵というのはすごいと感心します。とにかく昔の日本は、全て微生物のお世話になって成り立ち、完全なる資源循環型社会で、ゴミを出さなかった。すごいと思いませんか。これからは、そういう社会を作っていかないとごみだらけ、その上、これからは放射能のごみまでおまけつきの時代が待っています。
 今回の光合成細菌を活用した生ごみの処理は、放射能の問題も含めて、前から皆さんがやっているEM生ゴミボカシの処理より簡単で、問題も少ないので、長続きして、自家処理する人が増えるのではないか、そしてもやすゴミとして出す人が減るのではないかと思って申請しました。
 ここでちょっと、EM菌と光合成細菌は関係があるのだということを、ぜひお知らせしときたいので、寄り道させてください。みなさん、EM菌、EM菌と言っているので、どうもEMという一つの菌が、EM菌だと思っているらしいんです。英語は誤解をうみますよね。EMというのは、複合微生物でいくつかの菌が一緒に入っているんです。そしてなんと、その主役が光合成細菌なのです。どちらも、いいものであり、必要だと覚えておいて下さい。
 話を前に戻して、生ごみを自家処理する人を増やしたいという件ですが、私達の会は、場所が旧猿島町にあり、合併前の八年間ほど、役場の職員が作ったEM生ゴミボカシが無料配布されていて、ほしい人はリサイクルセンターにもらいにいけばもらえて、そのお蔭で自家処理する人がふえ、環境センターでの可燃ごみの負担金が周囲の自治体で一番少なく、ある時期には一人あたりのゴミの搬出量が県で一番少ないこともあったそうです。それを可能にしたのは、猿島町茨城県で最初に住民参加型という環境基本計画をつくってそれを実行したからです。私達の会も、住民の端くれですので、参加していろいろ提案したり、協力させてもらいました。そして官民一体となって環境を良くしていくことに、悦びと町への誇りを感じました。この時の経験が、申請に活かされました。だから、住民参加型の有機の里にしたいのです。
もう一つ、猿島町の時から今も続いている排水浄化対策であるEMによる「米のとぎ汁流さない運動」も、住民参加です。発端は、私達の会が行政から悪臭とヘドロで困っている用水路について相談を受け、EMに排水浄化の力があるかどうかを実験した時です。会員の有志が休み返上で、週一回、三か月間そこにEMを注入し、月一回の会の水質検査で調べたところ、ヘドロ、硝酸性窒素CODなど全て改善されました。この時も実験費用に、会の少ないお金を使ってしまって困っていたら、今まで一緒にやってきた役場の職員さんが、今回と同じ県の大好きいばらきから助成金の募集があることを教えてくれ、応募して採択されたのを懐かしく思い出します。
今回の県からの募集についてですが、「地域の課題は地域で解決する」「自分たちの地域は自分たちでよくしていこう」という呼びかけでした。私は、今では住民参加、住民主導が当たり前の時代になったんだなあとつくづく思いました。 
次に、現代の日本人が置かれている八方ふさがりのような状況を打破して、元気、安心、希望を手に入れるには、一人一人の知恵と行動力が結集して大きなエネルギーにならないと無理ということを、ささやかではありますが、私の個人的な体験と四季の会の紹介を通して、聞いていただきたいと思います。
実は、 私は、今から20年くらい前に、一足お先に、自分の中から元気、安心、希望がなくなりどん底に落ちました。詰まる所、人間てなんだろう、自分てなんだろう、いかに生きるべきかという根本的なところがわかっていなかったのです。どん底から自力本願で必死にもがいて、はいあがろうとしたお蔭で、それまで理解できなかった宮澤賢治の詩の言葉の中に、自分が真に探し求めていた答えを見出しました。生き直そうという決意で、生まれて初めて「私の宮澤賢治」という本を著しました。それで全部解決して現在まで元気で来ていると思うでしょうが、そうは問屋がおろしませんでした。裏話があるのです。それから一年くらいして私は又元気がなくなりました。結局生き方が分かったつもりになって、それまでと同じ個人的な生活だけを続けていたからなのです。私に元気を与えてくれることはなんだろうと色々試してみました。たどり着いたのが、道路のゴミ拾いでした。
 私は前から草取りやどぶ掃除や生け垣の選定といった外の仕事が好きで、私の娘たちはそういう私を見て、ジミー(地味)とあだ名をつけてくれました。まさに的確なあだ名です。
ゴミ拾いは、究極のジミーですから。そして今は又生ゴミに取り組んでいるのですから。その上、着ている物も地味。姿、形も地味。そう思いませんか。
 一人で約二年九か月、ほとんど毎日午前中はゴミ拾いといった日々でした。大好きな自然の中で、道路という社会を象徴する場で社会参加して、ごみを拾うことで自分の中のゴミも拾えて、自己浄化され、その間になにか思いついては、子供にかえってそれをやってみたりして、私はどんどん元気になっていきました。 拾ったゴミを町の粗大ごみ置き場に持って行っては、文化の香りのするものを、もったいないと拾って持ち帰る日々でもありました。それが農場にどんどんたまっていきました。ある日、木枠のいっぱい置いてある所を見つけ、全て燃やされる運命と聞いて、もらいに行き、もらってきては釘を抜く日々が続きました。私は会の代表でもある私の夫が、器用貧乏で建設力があるのを見抜いていたので、彼が見えるところにきれいに積んでおきました。予想的中、彼はその木材を使って、仕事の合間に三年がかりで、私が拾ってきた物を収容する家を建ててくれました。
 皆さんのお手元にある「猿島野まるごと博物館マップ」の14番「私の宮澤賢治かん」がそれです。もう一つ、15番「リサイクルハウス」もほとんど廃物利用で、会のみんなで建てました。この猿島野まるごと博物館も、箱モノばかり立てていた時代に、それだけではもったいないと、会のみんなで場所を選んだり、立札を建てたりして作りました。
私は、この「私の宮澤賢治かん」も「リサイクルハウス」も猿島野まるごと博物館も、もったいないから生まれたものであり、ゴミ拾いから元気、安心、希望を手に入れ、そこから生み出されたものだと思っています。
 平成六年、一緒にやりましょうという人たちが現れ、四季の会が誕生しました。あれから四十年ではありませんが、随分長いお付き合いになります。毎週火曜日が活動日で、自生農場に集まってゴミ関係を担当しています。私がゴミ拾いで得た最高の宝です。そしてEMによる週一回の川の浄化活動も、もう何百回通っているかわからないほどですが、四季の会が担当していて、時にはたくさんの魚が見られ、私達を喜ばせてくれます。
 今回の光合成細菌による生ごみ処理の実験も、昨年の五月ころから四季の会に頼んでやってもらっていました。特に畑がない一人が、毎週生ゴミ一週間分の入ったバケツをもって現れ、夏の暑い盛りも一度も悪臭がなく、コバエやうじもわかす、これが申請のヒントになりました。
 ここにお集まりの方は、生ごみを燃すのはもったいないと思っていると思います。このもったいないという気持ちは、日本人には当たり前なので、そのすごさに気づいていなくて、外国人のほうがその素晴らしさがわかるんですね。ごぞんじですか。環境の分野で初めてノーベル平和賞をとったアフリカのケニアマータイさんという女性が来日した時、この日本人のもったいないにひどく感動して、もったいないを世界共通語、国際語にしようと言い出し、事実そうしたのです。でももったいないといっても、外国の人にはわかりませんよね。そこで彼女はこんな風にしました。3RプラスR。今度はこちらがわかりませんよね。はい、説明させていただきます。でも細かくやると、眠気を誘うので、簡単に、先ず3Rは、リサイクル、再利用、減らすという意味で、最後のプラスRは、自然を敬うという意味です。生ごみを燃やすのはもったいないというのにぴったりの言葉だと思いませんか。生ごみを燃やさないで、微生物の力でリサイクルすると堆肥になったり、家畜のえさになったりしますよね。そして最後はごみを減らし、自然を汚さず、うやまうということになりますね。
 又、もったいないの話になりますが、このもったいないが集まると、ものすごい力になるということを、私達の会でやっている事業を例にお話しさせてください。ピース・エコ・ショップ事業というのですが、これはまさにみんなのもったいないの気持ちが集まって、お金にして必要としている所に送って、自分たちも元気や張り合いをもらっているというすべてが循環しているお店です。これまでに二千万円以上のお金を皆の力で支援してきました。 もったいないが洋服を着ているような私が、個人的にたまたま思いついて始めたのですが、もったいないを共有する様々な人たちの協力で会の事業にまで発展しました。確かにもったいないが集まれば、不可能なことはないかもしれません。
 現在は、このショップは自生農場の前にあるゴルフ場さんの玄関先で、夫が考案した即席のお店を作って、ほとんど毎日やっています。四年ほど前からやっていますが、始めたころは一週間もつかなと思いました。それがみんなのもったいないのお蔭で、顔なじみのお客さんも増え、順調に毎月送金でき、私も暑さ、寒さに強くなりました。
 それから、今度の主役である光合成細菌も、ゴルフ場でのピース・エコ・ショップがなかったら、このような展開には絶対にならなかったでしょう。皆さんどうしてだと思いますか。実は毎日店番することで、私に読書する時間が与えられたお蔭で、光合成細菌を前以上に知ることができ、関心も深まり、培養の段階まで、及ばずながらではありますがたどり着くことができたのです。
 ゴミ拾いにしても、ピース・エコ・ショップ事業にしても、どちらも持続的な元気をくれただけでなく、互いに理解しあえる仲間も沢山でき、全てがつながって好転していきました。この源を私は大和魂、すなわち知恵と実行力といいたいのです。私の場合は、ゴミ拾いを始めたことで、何十年も眠っていた私の三つ子の魂が、長い間の眠りからさめ、顔をだし、悦んでくれたからなのだと思います。
 ここで一つ、眠気覚ましに、私の素人くさい歌を聴いていただけないでしょうか。歌の題名は「年をとらない玉手箱」といいます。浦島太郎は、玉手箱を開けたらお爺さんになってしまいましたが、この歌はまるきり反対です。自分で玉手箱を開けないと、さびしい老後が待っています。
        
        年をとらないたま玉手箱
   一、 気づかないだけだよ  誰もが持ってるたましい
     天から唯一の贈り物  
     ここに元気の源あり  ここに元気の源あり
     年をとらない玉手箱  年をとらない玉手箱
     気づかなきゃ  もったいない
     気づかなきゃ  生まれてきたかいがない
     生きてるあいだに  出会おうよ 出会おうよ

      二、気づかないだけだよ  誰もが持ってるたましい
        天に通じる受話器だよ
        ここに正義の源あり  ここに正義の源あり
        年をとらない玉手箱  年をとらない玉手箱
        気づかなきゃ  もったいない
        気づかなきゃ  生まれてきたかいがない
        生きてるあいだに  掘り起こそう 掘り起こそう 

ありがとうございました。
 最後に、この玉手箱で、生ごみを通してみんながつながって、この坂東市を、次世代のため、元気、安心、希望を与える住民参加型の有機の里にして、全国に発信し、坂東市の元気を外に届けて、日本が元気になるお手伝いをしましょう。それに今日来ていただいた皆さんのご協力を頂きたく、このフォーラムを企画しました。
ではどうやるかと申しますと、その手段がお配りした二枚目の「坂東市独自のバイオマスタウン構想を発信しよう」というものです。今日のフォーラムを一里塚に、有機の里にたどり着くまでの構想をまとめたものです。全部読むと、眠くなる人出ること請け合いですので、線を引いたところだけ説明しますので、全部は後で読んでください。そしてメモを取られる方は取って下さい。

(ここに坂東市独自の「バイオマスタウン構想」を発信しようを挿入しました。)

坂東市独自の「バイオマスタウン構想」を発信しよう

先ず、バイオマスとは、生ゴミ、畜産の廃棄物、もみ殻、落ち葉、木材チップ、し尿、下水汚泥などなどの有機物の総称であり、生物体量という意味です。現在、それらは各々の地域で燃されたり、廃棄されたり、活用されないままになっているもったいない資源です。特に生ごみは、現在多額の焼却費を払って燃され、環境汚染や温暖化につながり、悪循環を引き起こしています。
国では、数年前から「バイオマス日本」というキャッチフレーズで、一府六省横断的に、各々の地域がバイオマスを堆肥化したり、熱、電気、液肥がとれるバイオガス化したりすることで、資源循環することを、公表の義務と半分の助成金をつけて奨励しています。それを「バイオマスタウン構想」といいます。
私達、NPO法人猿島野の大地を考える会」では、平成21年に坂東市が市民参加を呼びかけたプロジェクトの一つ、「農業創造プロジェクト」に4名の会員が入り、やはり自分から手を挙げた役場の職員と共に、半年間月二回熱心に話し合いが行われました。最終的に、私達の会が提案した、バイオマスタウン構想作成と、坂東市にある農業大学校有機農業科設置案が受け入れられ、坂東広報誌、1月号に掲載されました。他のプロジェクトの提案は、予算も付いて実施されましたが、この案は大きい事柄だけにそのままになりました。せめてバイオマスタウン構想だけは、日々お金と環境の悪化がともないますので、早急に考えてほしいとこれまでに会で三通の要望書と千名以上の署名を市長に提出しました。その中で一貫して、「次世代のため、元気、安心、希望を与える住民参加型の有機の里創り」という基本理念に則ったバイオマスタウン構想の実現を訴えてきました。同時に会の中に、この実現に向けて「坂東市有機の里創り研究会」という部会が発足しました。
先ほど寺田さんが言ったように、これを申請した自治体の中でも成功例は少なく、その失敗例から学び取り、下記のような内容を採りいれた坂東市独自のバイオマスタウン構想を発信していけたらと願っています。
   1) 基本理念をかかげた上でもったいないをシンボルに、微生物を中心とした住民の知恵と行動力で、できる     だけ簡素に、官民一体となって取り組む。
   2) 市民モニターによる光合成細菌を活用した生ごみの自家処理から始まって、学校でも安全な環境体験学習の一環として、親子の生ごみに対する関心を高めていく。
   3) 将来堆肥化していく場合、各専門分野の住民の意見と実験を土台に、本当に役に立つ坂東市独自の堆肥を考案、開発していくことを目指す。
   4) 「三つ子の魂百まで」という諺を活かして、高齢化に益々向かう日本で、高齢者に大和魂を取り戻しても     らって、知恵を次世代に伝えていってもらうという、社会貢献で元気な高齢者を増やしていく。(ここで挿入終わり)

 まず、国も大量に出るゴミには困っていて、市町村がそれぞれ自分のところで資源循環してほしいということで、その構想を申請して、実践することを奨励しているのです。そして、いい事例を広げる意味で、公表を義務化しています。
でも実際には、失敗例が多いのです。それは、住民の協力も得ず、行政と企業だけで、施設ばかり立派なのを建てて、いい堆肥も出来ず、堆肥のゴミと借金を作ってしまうというケースなどです。施設や機械にしても、もったいないを今度の有機の里創りのシンボルにして、今あるものを活用する、たとえば、まるごと博物館の13番、リサイクルセンターなどは最適だと思います。
 次に、微生物を中心としてですが、日本の過去のもったいないの泉から生まれた知恵は、全て微生物でした。まだ微生物の世界は、90パーセント以上わかっていないそうです。でも自然界には、微生物が沢山います。それを住民参加で、生涯学習的に官民一体となって取り組んでいくようにすれば、いい知恵が集まると思います。
 次に、安全な環境体験学習の一環ですが、放射能による将来の子供たちの健康について、全国の父兄が心配していますが、まだ根本的な解決法は出ていません。その観点から一応その可能性がある光合成細菌を使った生ごみ処理を、全国に先駆けて、安全な親子の環境教育の一環としてバイオマスタウン構想に一つのモデルとして提示することは、賢明であると思います。そして、そこら辺の段階で、バイオマスタウン構想は申請できます。あくまでもすぐに堆肥センターを作らなくてもいいのです。
それから、本当に役に立つ坂東市独自の堆肥、たとえば、連作障害に効く堆肥とか、全国で困っている部分を救済できるような堆肥を、時間をかけて作っていけばいいのです。
ただし、バイオマスタウン構想を申請すると決めた時から市は、基本理念に沿った、三つ子の魂を持った、やる気のある団体や住民の委員会を作り、彼らの意見と実験を土台にやっていかないと、本物ではなく、永続性は見込めないと思います。
 これで私の話は、終わりとさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。でももう一度、言わせてください。私達のこのロマンに賛同して下さる方は、私達の会の部会として起ち上げた「坂東市有機の里創り研究会」に入って、一緒にロマンを追いかけましょう。ロマンスとちがって、いくつになっても元気がもらえますよ。 最後に、光合成細菌が、人間の作った様々な社会問題にいかに有難い存在かを、多くの人にわかって頂きたい一心で、下手を承知でこの「光合成細菌物語」を作りました。時間の関係で、ダイジェスト版で読みますが、後でお子さんとでもゆっくり読んで頂けたら有難いです。