春と修羅

 これは、宮澤賢治が残した詩集の題名です。私は、この詩集の序文の言葉の中に、ずっと追い求めていた「人間とは、自分とは」という根本的な問いに対する、真に納得する答えを見出し、第二の人生を踏み出すことができました。
 それから、二十余年の歳月を「おかげさまで」という言葉がぴったりの時間をすごすことができました。そして「時は金なり」ではなく「時は命なり」という思いで暮らすうち、私の中から「一日一生」という言葉が生まれました。
 賢治が、自分の代表作の題名をなぜ「春と修羅」にしたのだろうと、ずっと思っていたのですが、一日一生を過ごしてみて、一日の間にも波が絶えずあって、春のような幸いの気持ちと人間だれもが持っている煩悩の時間が訪れるということ、一日は一生の縮図でもあるということに気がつきました。
 でも、最後は、元気、安心、希望というような春のような境地に到達することが大事であるとも賢治はいっています。それは、世界どこでも可能であるという意味で、世界共通語のエスペラント語で「イーハトーヴ」と呼んでいます。「理想郷」という意味です。私たちの会の部会「坂東市有機の里創り研究会」は、そんな日が来ることを夢見ながら頑張っています。