平将門

 現在、NHK大河ドラマ平清盛」は、平安後期に生きた人で、平将門は平安中期に三十七、八歳で時代を駆け抜けた風雲児のような人で、関東の豪族でした。ドラマの中で、平清盛が武士の時代を創ることを目指していますが、武士の発生の萌芽は、平将門の頃にさかのぼるようです。
 将門は、母の出身地である、現在の福島県相馬郡で育ったことから、別名「相馬の小次郎」と称されたそうです。
 私が驚いたのは、将門の実際の勢力範囲は、豊島、猿島両郡とあったことです。私たち家族がもう四十年以上も住んでいるここの地が、猿島郡のそれも猿島町だったのですから。
 そしてさらに、合戦の時は所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使し、戦いに勝ち抜いていったそうです。そういえば、三十年以上住んでいた私たちの旧宅があった猿島町の部落は駒寄部落といいました。長い長い時間を超えて、大昔の馬のいる風景を想像してしまいました。

 下総国常陸国に広がった平氏一族の抗争から関東諸国を巻き込む争いへと進み、最後に将門が関東一円を平定し、京都の朝廷、朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したのだそうです。そしてここで、二度びっくりでした。なんと、政庁を置いたのが、岩井(現在の私たちの市、坂東市)だったのです。
 しかし、その行為が朝敵ということになり、わずか二か月足らずで討伐されてしまったのだそうです。死後は、神田明神、国王神社などに祀られています。現に、旧岩井市に国王神社があり、皮肉にも、3/11以後そこで毎日、市で放射能測定をしていて、一度会で見学させてもらったことがあります。
 
 私が最も驚嘆し、敬服したのは、将門の考え方の大きさというか、自由さというか、パラダイムシフト的なところです。朝廷が絶対的だった時代に、対等に「新皇」を自称し、東国の独立を標榜するとは、確かに歴史に残るだけの大人物です。
 福島県相馬郡も、名前の示す通り、大自然の中で馬が闊歩し、将門は自然児として大きく育ったのがうかがえます。現在でも、坂東市南相馬市で将門祭りや騎馬行列のお祭りが催されます。
 遠い遠い歴史の流れが、将門という人の濃縮な生き方を通して、現在までつながっている事が、今回実感できました。
 そして、坂東市南相馬市がなぜ交流するようになったかが、これではっきりし、ますます南相馬市が近くなりました。将門さんにあやかって、根本的なところでつながっていきたいと切に願っています。