酷暑

 「言うまいと思えど夏の暑さかな」ではありませんが、いつの世でも同じなんですね。
ついつい顔を合わせると口に出てしまいますが、昔もこんなに暑かったのでしょうか。昔の人は、暑さを機械で処理するのではなく、打ち水をしたり、風鈴を下げたり、夕方には縁台でうちわ片手に話をしたり、風情がありましたね。
 文明の味を知らなかったら、膨大な電力も必要でなく、環境もそれほど破壊されることはなかったでしょう。昔から「足るを知る」といわれて、日本人は自然を大事に感謝し、質素倹約を旨とし、秩序正しく暮らしていました。
 この酷暑も、世界中で起こる気候変動も、放射能汚染も、文明の累積された結果のあらわれです。わざわざ自分たちを生きにくい袋小路に追い詰めているようなものです。子供でもわかる当然ともいえる道理を、いつまでも「臭い物にはふた」で押し通そうとしている国の姿勢には、根本的、長期的解決に向けての政治理念が窺えません。
 節約上手な辛抱強い日本の国民性に働きかけ、訴え、協力を仰げば、特に戦中、戦後派の世代は、次世代のために大いに悦んで、その実力を発揮するでしょう。
 電力需要だけを心配するのではなく、国民性という目には見えないが確かな要素を重視して、それを引き出すことに力を注げば、日本人は一致団結して昔のいい意味での日本人らしさがよみがえり、問題も解決されること請け合いなのですが。
 ここで下手な一句「子供でも分かる道理が分からぬか」お粗末でした。