短編

 今日はゴルフ場でお店番をしながら、曽野綾子さんの短編集を読みました。そこに収められた短編は、どれも曽野さんの実生活上の体験を元にした虚構だということでした。
 彼女はクリスチャンなので、そういうところが舞台になりますが、今日私が読んだ短編の舞台は、イスラエルエルサレムにあるキリストが磔になったといわれているゴルゴタの岡でした。
 そのそばの教会で、旧友がばったり出会う。一人は、旅行客として関心があり立ち寄った初老の男、もう一人は、日本を離れその教会の神父の一人となっていた男でした。二人がその教会内を歩いている時、祈っている一人の女性に出会う。神父が説明する。「彼女も彼女のご主人も弁護士だが、いま彼らは非常に貧しい。不動産から、株、証券、宝石、自動車、現金まで、一切の財産を、不運な人を助けるための基金にするよう寄付してしまったから」

 「私たちが生きていくことを神さまがお望みになるうちは、住む所と食べるものと、最低の衣服くらいは今後もくださるだろう、いつ死んでもいいように、今まで頂いたものは、今のうちに神さまにお返ししておく、と言うんで財産の整理をしてしまったんだ」と。
 彼女は「すべてをなくすことが、こんなにも爽やかなことだとは思いませんでした」また「心も空になりましたから、信じられないほど、たっぷりと愛を受け入れられます」と言ったという。
 とても共感できる、心に残る短編でした。


 今朝、夫が撮った見事に咲いてくれた自生の朝顔を、載せてみました。編集の仕方を忘れていたのですが、うまくできたので気をよくして、これからもボケ防止のため頑張ります。