駄目元(だめもと)

 私は賢治を生きるようになってからは、先ず自分の自由な魂の声を最優先にして、それに従って生きてきました。自由というのは、自ずと自分の内から出てくる魂の声ととらえ、その声が最も透明に聞こえるのは、自然の中で又社会の象徴でもある道路上で、ゴミ拾いをしている時でした。
 そこから、猿島野まるごと博物館の発想が湧いたり、そのマップを作って(イラストが上手な次女の作)みんなでそれを実現にもっていき、今では炭焼きと並ぶ会の交流行事です。 又、社会福祉協議会に働きかけて、月一回、全戸配布、手書きのボランテイア広報紙「茶はなし」ができ、十二年間、144回かな、旧猿島町が合併するまで続きました。
 ゴルフ場の反対運動は、最も勇気を要しました。でも、対決ではなく、対話の姿勢で粘り強く、立木トラスト運動やおおたか保護活動や署名集めや陳情書の提出、議会の傍聴など今ではなつかしい思い出です。そして、今では、ピース・エコ・ショップで、ありがたい理解者であり、協力者という関係になっています。こんな関係になるとは、初めは想像もしませんでした。
 とにかく自由な魂の声に従ってやることが大事なのであって、思った通りにならなくても駄目で元々、やり続けることで魂の一貫性は失われず、いつかは願いが叶います。
 今日は、それをほんとに実感した日になりました。