因果交流電燈

 宮澤賢治の人間定義の中に、「因果交流電燈の一つの青い照明」という表現がでてきます。「有機交流電燈の一つの青い照明」というのが、人間の生命の根源ともいうべき魂を示唆しているとするならば、その魂の声を具体的に示そうとするとき、この因果交流電燈という人間の枠が生きてくると思っています。即ち、その人間がどんな時代に生まれたか、どんな国や家庭環境や人間関係の中で成長していったか、その因果の積み重ねがそれぞれの人間を形成しているということになります。その中で、三つ子の魂ともいうべき声が、いつその人の中から因果の結果、具体的な形となって表れてくるか、又は埋もれさせたまま向こうの世界に行ってしまうか、ということだと思います。
 私は、因果の産物として、もったいないが核になって、ゴミ拾いを原点に、そこを起点に魂の声に従って様々な活動がうまれ、魂を同じくする人たちとここまで歩を進めてこれたと感謝しています。
 これからも、駄目で元々と、本音で話し、行動することで、限られた時間を大事に、透明な気持ちで元気におくりたいと願っています。
 今日は、このブログを見てくれている方が、鶏糞を買いにきてくれました。