心にしみる言葉

 今日たまたま惣菜を作りながら、テレビをつけていて、いい番組に出会った。90歳の高僧がありのままに自分の弱さを語って、野田風雪という高僧の言葉に救われたという。
 私も特に心に染みたその一部を急いで書き写しました。「如来 我となして、我を救いたもう。 私の中に入りて、私の煩悩を生きてくださる、私の業を生きてくださる」それを隨縁自在といって、自分の拠り所となるという。
 私も、たとえ賢治の世界観で根本的な迷いはないとはいえ、日々自分の中に住む修羅との戦いがあるのも事実である。私は、私のままで許容され、生かされているということは、誰にでも、生きる力、生きる能力は備わっているということです。
 今日の言葉を、ここに記すことによって残し、時々かみしめようと思っています。