教え子

 茨城のこの地に移ってきてから、もう自分の年齢の半分以上を優に超えます。借金を早く返すことや将来の子供の教育費のことなどを考えた時、子育てをしながら自分がやれることで思いついたのが、塾でした。その頃は第二次ベビーブームだったので、看板一つ手作りで建てただけでしたが、なぜかいつの間にか教え子が増えていました。
 自分の良心に従って、少人数で、月謝も高くなく、塾ではなく「自由来」と一応こだわったつもりでした。そういう生活が20年位続きました。この自由来を通して、お蔭で沢山の人を知ることができ、その後、このような会ができた時もどれほど助けられたかしれません。
 その教え子たちも、もう40代、30代、いや50代の人たちもいます。昨日その教え子の一人が、義理のお母さんと訪ねてきて、もったいない・ピース・エコ・ショップで話していきました。何と、そのお母さんが四季の会が生まれるきっかけを作った人でもあり、その息子さんとご縁があって、そういう関係になったという、賢治曰く、人間定義の一つ、「因果交流電燈の一つの青い照明」というわけです。
 今日は、又、夫が夜集まりがあって、そこで私の教え子に会い「先生は昔からもったいない精神の持ち主だった。又、先生が、アメリカの高校生をホームステイさせたのは、強烈に印象に残っていて、妹が今アメリカにいるのもその時の影響があるかも」と言っていたそうで、おかしかった半面、自分のその時、その時の判断、実行がいまだに続いているのを実感させられました。