徳富蘆花

 今日は日曜日なので、夕飯は「八重の桜」を鑑賞しながら頂きました。新島襄は、同志社大学を創った人物として、歴史の教科書で覚えていただけだったのですが、実際に生身の人間としてみると、歴史上の人物も一般の人も同じだなあと感じました。そのドラマの中に、これまた、歴史上の人物としてしか知らない「徳富蘆花」が出てきました。
 そして、ドラマの中とはいえ、生身の徳富蘆花は、人間の弱さを正直に認める、正に宮澤賢治が、人間は誰でも自分の中に春と修羅を併せ持っていると言っていたのと、相通じるところを感じました。
 この三人は全て、歴史上の人物で、後世の人たちに自分のミッションなる物を残していきました。生きている間は、まさか自分が歴史上の人物として残っていくとは、想っていなかったと思うのですが、賢治のお蔭で、今を生きている自分がいます。現代にも影響を与えうるということは、時代を超えて、普遍性がその人物が残していったことにあるということです。賢治の偉大さは、私はそこにあると思っています。
 それにしても、新島襄徳富蘆花同志社大学と襄の妻を通して、密接な関係にあったということは、新鮮な驚きでした。