一日一生

 今日も、一日一生という思いの密度の濃い時を過ごすことができました。この会が生まれる前後あたり、もう二十年以上も前になりますが、宮澤賢治の人間定義に納得して生き方が定まってからは、自分の魂の声を行動の指針にしてきました。その通りに動かないと、一貫性がないわけですから、自己矛盾がおきて苦しむのは自分ですから、素直に駄目元でいいからその声に沿ってやってみる、その連続だったような気がします。お蔭で、悔いのない歳月で、むしろ一貫性があった分厚味のある歳月でした。何しろ、時は戻りませんから。残された歳月も、一貫性をもって送りたいので、今日の午前中は仲間にも一緒に行ってもらって、一歩足を前に進めました。この仲間も会ありし故です。
 午後は、やはりお仲間が新鮮な野菜をもってきてくれ、意気揚々とゴルフ場へ。お蔭で、今日は帰りも意気揚々で、仲間に感謝です。
 社会に目を向け、そこに自分の居場所を見つけられれば、個人的な生活以上に豊かな人生が約束されること、請け合います。