ゴミ拾いお勧めの歌

 元気になる一つのヒントを与えてくれると、昨日私が言った歌のタイトルが、「ゴミ拾いお勧めの歌」です。思いがけない題名だったでしょう。でも私は超本気、大真面目ですが。
 先ず、三番まで下に歌詞だけ載せますね。本当はだれか、このブログから曲も流れるようにして頂けたら、ありがたいのですが。いつかそんな日が来ることを夢みています。

         一、青空の下で ゴミ拾いをしてごらんなさい
           だまされたと 思って
           ゴミのたなりに 無心があるよ
           いつの間にやら あなたのゴミも拾えて
           やりたいことが 見えてくる

         二、野鳥の声 風に ゴミ拾いをしてごらんなさい
           だまされたと 思って
           ゴミの向こうに 社会が透ける
           いつの間にやら あなたの中から元気湧き出て
           やりたいことが 見えてくる

         三、野草の花 友に ゴミ拾いをしてごらんなさい
           だまされたと 思って
           ゴミのかなたに 世界が覗く
           いつの間にやら あなたの中の灯りともって
           やりたいことが 見えてくる

 以前書きましたが、私は三年近く一人でほとんど毎日午前中ゴミ拾いをしていました。なぜかといいますと、賢治によって生き方が定まり、それまでの自分を総括して再生を期すために、「私の宮澤賢治」という本を著しましたが、一年近く経って又元気がなくなってきました。賢治の詩の一節の中に、私が求めていた人間定義を見出したと感じ、再出発した気持ちになっていたとはいえ、生活は以前と同じ個人的な領域にありました。
 色々模索し、ある日農場の前のどこかの人の山林が、ごみの散乱でひどかったのを片付けました。きれいになって、爽快感を味わいました。賢治を感じながら日々生きていく具現的方法が見つかった瞬間でした。
 個人的な生活ばかりをしていると灯りや出口が見えなくなります。ゴミ拾いは、外の自然に触れながら、社会の矛盾を象徴している「道路のゴミ」を拾うことで、自分が無心になれ、利己的な自分や我欲といった小さな自我から自分を解き放してくれます。正に、ゴミを拾いながら、自分の中のゴミも拾って自己浄化してくれます。
 道路は、自然と社会をつなげている、自分をきたえてくれる道場という位置づけでしょうか。
 私は、なぜゴミ拾いをしていると自分が元気になるのか、子供のころから変わっていて、他人の目を気にするよりも自己流を通す子供だったのが幸いして、とにかくそれからずっと続けていました。そして全てが、そこから始まり、現在につながっています。小さな自我から、大きな自我に成長させてくれたのが、私にとっては、ゴミ拾いだったのです。
 「家族」という歌も、この歌も結論として、時間が熟成すると私の中から自然と生まれてきました。プロの作詞、作曲家とそこが全くちがいます。本音のメッセージソングとでもいいましょうか。その上、私はオタマジャクシが全然わからない超アマチュアです。周囲の誰かが必ず助けてくれてここまで来ました。このブログもそうです。できないことは助けてもらって感謝する。それがつながりあうということではないでしょうか。
 ゴミ拾いに限らず、自然や社会とつながっているところで、とにかく行動してみてください。必ず道は拓けます。