三つ子の魂

 日本では「三つ子の魂、百まで」ということわざがあります。三歳の頃の魂は百歳になってもあり続けるという意味だと解釈しますが、超高齢化の日本で、今最も注目されてもよい、活かすべきことわざだと思います。

 前回、うつ病に苦しんでいる人たちに、ぜひ行動をとすすめました。私の場合は、ゴミ拾いが持続可能な元気を与えてくれたといいましたが、どうしてだろうとずっと考えていました。一つは、ゴミ拾いが自然の中でできること、もう一つは、ゴミを拾う道路は、個人的な場所ではなく社会の一部であること。ゴミを拾うということは、自然の中で社会の矛盾をかみしめながら、自己浄化もしているからなのだなと気が付きました。気持ちがいいので約三年間一人でやっていて、色々なことが好転、派生していきました。そして、これまでの全ては、ゴミ拾いが原動力と私に言わしめていたのは、ゴミ拾いが、私の中に元々あったけれど眠っていた三つ子の魂が目をさまして悦んでいたのだと気が付きました。

 私の魂は、結局何十年も眠っていたか,うずもれていたことになりますが、とにかく目を覚ましてくれ、残された人生は魂の命ずるままに生きていけば全うすると信じて、一日一生という思いで今日も満ち足りた一日を送ることができました。

 うつ病の方だけにとどまらず、特にこれから六十五歳に突入するといわれている大量の団塊の世代の方たちが、こんなになってしまった世の中を、後に続く者たちのために、自分の魂のありかを見つけ出し、そこを原動力に行動しつながり始めたら、世の中は活気に満ちた新しい時代を迎えることになると確信するのですが。