至福の時

 人間は、「現象であり矛盾であり関係である」という賢治の言葉ではありませんが、実にその通りだなあと、自分の一日を振り返っても実感します。
 一日の時間帯が、自分との闘いの魔の時間であったり、至福の時間であったり、現象である自分はこういう矛盾を抱えながら、人間関係や時間との関係性の中で、自分という存在が成り立っています。
 今日も、しぶしぶ背中を押されながら、ゴルフ場へ。行ってみれば、そこにはなじみのお客さんとの会話や新しいお客さんとの出会いがあり、ピース・エコ・ショップの役割の積み重ねがあり、読書の時間もあり、夫が迎えに来てくれて車中の人となった時は、「行きはよいよい、帰りはこわい」という昔の言葉の逆をいく心境になっています。
 そして、夕方の至福の時を迎えます。夫と共にテレビを見ながら、一服のお茶と、残り物のパンのおいしいこと。そしてその後の、ひぐらしの鳴き声を聞きながらの草取り等の気持ちのいいこと。
 今日は、きのうのみょうがの一角のすごい勢いの草をとりましたが、その時気がつきました。みょうがもその中でちゃんと元気に育っていることと、草の効用もあることを。というのは、草があることで湿り気が保たれ、それがみょうがに活力を与えているということに。すべては否定すべきではなく、すべては共生し、肯定にもっていく努力をすべきだということを教えられた気がしました。