教え子

 私は、若いころいつとはなしに、価値基準の一番高いところに「自由」を置いていました。結婚も、アメリカの開拓時代ではありませんが、「自由と独立」を目指して、千葉で二人で意気投合して、茨城の借地借家から生活がスタートしました。
 現在の坂東市に居を構え、自由と独立のために二人で働きました。私が子供も見ながら家でできる仕事として選んだのが塾でした。というより、私にはそれしかできるものがありませんでした。ただ私は、昔の寺小屋風の塾を望んでいたので、一回に八人を限度とし、塾ではなく「自由来」とし、自分を納得させました。ありがたいことに沢山の中学生が来てくれましたが、こだわった分だけ、忙しい日々でした。約二十年間続けたお蔭で、自然とたくさんの教え子ができました。残念ながら自由来時代に自分の納得する人生の結論に達しなかったので、未熟な先生でしたが、もしこの仕事で社会とつながっていなかったら、私はもっと未熟でさびしい人生を送っていただろうと思います。
 賢治の人間定義に真に納得し、第二の人生を又二十年位続けてきて、教え子や教え子の親御さんとのご縁にどれほど助けられたかしれません。
 会に入会し、忙しい中ピース・エコ・ショップにずっと協力を惜しまない教え子の母子には、特に頭が下がります。
 今度、いつの日かピース・エコ・ショップが形になった時は、そこで又いろいろなご縁が生まれることを楽しみに、一日一生と思っていい時間を作っていきましょう。
  
 会の代表が、毎日お天気具合を見ながら、頂いた材木が痛まぬようにカバーで調節しています。いつか役に立つ日が訪れるまで。