自由

 私たちの会の基本理念は、「自由、平等、行動、非政治、非営利」です。
 この自由という言葉は、とても広範囲の意味を持ち、誤解もされやすいところがあります。
 以前このブログで、自分が若い頃一番高い位置に置いていたのが「自由」と書きましたが、その頃の自由と会の理念としての自由は、確かにまるきり違います。
 あの頃の自由は、とても個人的な意味合いが強く、一つ間違えるとエゴに陥りやすい低さがありました。事実、最初の子を「自由を貴ぶ」という意味で「由貴」という名前をつけながら、彼女の自由を貴ぶのではなく、親の自由を行使して、小さい時の彼女の自主性の芽を摘んでしまったかもしれないという反省があります。
 ただその頃でも、「自由」を「自分から」という風に定義し、自分から決めたことは、独立と責任を伴うということは一応肝に銘じて行動してきたつもりです。
 その後生き詰まり、宮澤賢治の人間定義に究極の落ち着き場所を見出し、自由の意味も変わってきました。賢治の作品の中で、私の好きな「農民芸術概論綱要」の中に「自我の意識は、個人から集団、社会、宇宙と次第に進化する」「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とあります。
 確かに個人の幸福だけ追い求め、手に入れたとしても、その満足や悦びは永続性のあるものではありません。特に物質的なものはなおさらです。会の目指すところの自由は、一人一人が天とつながっている魂から根差した、いうなれば自由な魂からという意味です。その次元から見れば、だれでも天の子、平等です。そして、そこから導き出された行動は、世界平和や世界全体の幸せに自然と向かい、一人一人を元気、安心、希望の方向に歩ませてくれると私は信じています。