勇気

 昨日資材を運んできてくれた若者との話の中で、宮澤賢治の話しになり、私が彼の人間定義に真から納得し、それを具現化して生きる方法としてゴミ拾いに行き着き、約三年間独りでゴミ拾いをするうち、持続する元気を得、そこから全てが始まったというようなことを言い、「風や雲や嵐から透明なエネルギーを得て、人と地球に拠るべき形を暗示せよ」という私の大好きな賢治の言葉を伝えました。
 道路のゴミ拾いは、正に自然と社会が一体となった中でする行為です。社会の矛盾をごみを通して考え、ゴミの中からもったいない物を拾いだし、文化を保存する意味で、それらを集め、その上、やはり拾ったりもらったりした廃材と廃物で、私の夫が三年がかりで創り上げたものが「私の宮澤賢治かん」です。
 今日の題名の勇気とは、きびしくある時には優しい自然の中に出て行かなければ、なかなか湧いてくるものではありません。もし、私がゴミ拾いという行為を日々自分で決めて、行う勇気を持たなかったら、絶対に今はありません。
 昨日の若者が爽やかだったのは、自然の中での農という路を自ら選び、実行しているからです。現代社会は、子供のころから外で遊ぶのではなく、家の中でゲームをするような傾向が強いので、長じても自然の中で行動するという発想もなかなか生まれず、社会に飛び出していく勇気がしぼんでしまいがちです。
 全ては、一つの勇気から始まります。最初の一歩の行動を起こしてください。ちがった明日が待っています。もしよろしかったら「私の宮澤賢治かん」を訪ねてください。