全う

 もう先があまりない、この年齢になると、一番の願いは、自分の人生を全うして終わりたいということでしょうか。
 私の場合は、五十歳直前位でようやく「人間てなんだろう、自分てなんだろう」という根本的な問いに、自分が納得する答えを宮澤賢治の詩の数行の中に見出し、そこから再生の道が始まったので、織田信長の「人生五十年」ではありませんが、昔でいえば、一度そこで死んで、もう一度再生の人生が始まったということになります。
 なので、今度迎える死では、自分で見つけた答えに沿って、一貫していなければ最後が全うしたということにはなりません。
 私の生きている間に、大願が成就しなくてもいいのです。とにかく大願をあきらめてしまわずに、それに向かって努力していくこと。それだけです。全うするということは、年齢等気にせずに、ひたすら一歩一歩歩き続け、天への道につなげることでしょう。