因果交流電燈

 宮澤賢治の人間定義の一つが、因果交流電燈の一つの青い照明とあるのですが、これに照らすと、私達一人一人の存在は、時代、場所、社会、両親、環境といった複合的な因の集積の上に成り立っています。私の作った「たんぽぽの歌」ではないけれど、「あなたが あなたが 私だったかも しれない」という位、すべて、偶然の産物であるともいえます。その観点から言えば、お互いさまであり、憎しみ合う理由もなく、みなが融和して生きていけると思うのですが。
 そのように考えると、根本的には、みな平等ということになり、威張ることもなく、見下すこともなく、お互いを認め合うのが正しいと思うのですが。
 みなが、自分の持ち味をだし、つながりあって、ことを為せば、大きな社会を変えるようなエネルギーが生れる事は確実であるとも思うのですが。
 今日は、駄目元で、ある人にお手紙を出そうと思いついた「好い日」でもあり、ゴルフ場でも、最後に逆転して、「大漁節」の「良い日」でもありました。