覚悟

 先日の交流行事の自己紹介の時、茨城町から毎年訪れてくれる会の代表の方が「それまでやっていたことから、小野さんたちの会に出会ってEMに変わりました。」と言って下さいました。それで思い出しました。その方との最初の出会いを。
 ずいぶん昔にさかのぼりますが、2001年2月4日、立春の日で会の代表の誕生日でもある日に、茨城新聞一面の「新環境宣言」というタイトルで、私達の会、NPO法人 猿島野の大地を考える会で、会員が排水浄化実験作業をしている写真付きで、大きく取り上げられました。
 その頃は、合併前の猿島町でした。猿島町は小さい町でしたが、環境問題に意識が高く、茨城県で最初に「住民参加型の環境基本計画」を作りました。町と私たちの会は、官民協働の好例ともいうべき関係で、「住民参加」を地で行く、EM生ごみボカシの無料配布制度を一緒に作り上げました。それにより、住民がそのボカシで生ごみたい肥を作り土壌に還元することで、生ごみ可燃ごみとして出さないようになり、周囲の自治体の中で可燃ごみの負担金が最も少なくなりました。その制度は、合併前の8年間続きました。
 その猿島町の頃に、ずっと共にやってきた職員の方が、或る排水路で、悪臭とヘドロで苦情が出て困っているという報告を受けました。そのヘドロを除く浚渫費用も馬鹿にならないとのことでした。以前より、EMは排水浄化の力もあるとは聞いていましたが、自分たちがこの目で納得しなければ信用できないというのが、私たちの会のスタンスでしたので、月一回の定例会ではかって、実験しようということになりました。でも、踏み切るのにとても覚悟が要りました。準備やら、費用の面やら、マンパワーの点でも、3か月間、週一回、500リットルのタンクにEM活性液を作り、現場に運び、ヘドロの中に灌注。月一回の水質検査で、EMが驚異的な数値を示し、排水浄化力を検証できました。その実験中に、排水を汚しているのは、主に米のとぎ汁と合成洗剤であることを実感し、町に働きかけ「EM活性液による米のとぎ汁流さない運動、モニター制度」ができ、それ以後現在まで市との委託事業として続いています。又、合成洗剤ではない、排水にも身体にも安全なEM液体石鹸も手作りから始まり、今では「もったいない ピース エコ ショプ」の人気物にまで成長しました。
 そして、新聞に掲載されたことにより、茨城町の方が私たちの会を訪ねてきてくれ、現在まで有機的な交流が続いているということで、あの時思い切って行動に踏み切ったことが、どれだけの副産物を生み出したかを改めて感じ、今の自分に活をいれた次第です。