意欲

 会員さんの中に、80歳を超えた方がおられ、皆さん一様にお元気で、独自の境地をもって生きておられ、私がその年齢まで生きていたら、お手本にしたいと密かに思っている。
 その中のお一人が、いつものように隣町から三輪の自転車で見えられ、心に残る言葉を置いて行ってくれました。「自分にはまだ意欲の泉があって、そこから水が湧き出てくれている」と。
 確かに、私がお手本としたいと思っている年長者の方たちは、みなその意欲の泉を自分の中にもっておられるなあという実感でした。
 そして、その方は、私の四冊目の本の表題「とりあえず症候群のあなたに」のとりあえずをとりあげて「世の中の大半の人がとりあえずですから。私もそうですけど」と笑いながら言われました。
 私は、今その点で、人間には三種類あるような気がします。一人は、とりあえずではない生き方を見つけて生きている人。もう一人は、そのようなことに全く無関心で生きている人。もう一人は、とりあえずで生きていることを自覚しつつも、納得のいく究極の生き方をまだ見つけられずとりあえず生きるしかない人。
 私は、賢治のお蔭で、究極だと納得できる路を見つけることができ、とりあえずから抜け出ることができた幸せな一人です。究極だと思える、一貫した道を歩いていれば、いつも意欲の泉は湧き出、枯れる心配はありません。年を重ねたら、それが一番ありがたいことです。