修羅

 私達の家には、私の夫が大学を出て、地方の高校へ就職する前に、神田の古本屋で手に入れたという宮澤賢治の古びた「春と修羅」という本がありました。賢治の本はそれだけでした。といっても、そこに全てが収められていました。それにしても、まさかそれが、私の人生を二分してくれるとは思いもよりませんでした。
 私の「たんぽぽの歌」という冒頭に「人間てなんだろう、自分てなんだろう」とあるのですが、それがいつももっとも気にかかるところだからこそ、そんな歌が生まれたのでしょう。そして、娘との関係から、その答えが分かってなかったゆえに生き詰まり、そこに賢治が待っていなかったら、どうなっていたでしょう。
 しかし、納得できて、元気になった今でも、日々起伏があります。そして、今日気づきました。賢治が本の題名を「春と修羅」にしたのを。正に、私の今日は春と修羅、両方が顔を出し
た一日、そんな感じでした。これが、人間という正体なのでしょう。これも一つの原点回帰ですかね。そして、修羅から抜け出す手だての一つは、行動することでしょうか。