哲学

 私は、哲学という言葉というか分野が好きです。数学の定理のように、いつの時代も、どこにあってもかわらない真理を表しているというように解釈しているせいでしょうか。「人間とは」「自分とは」「生きるとは」という根本的な命題に、誰もが納得出来る定義を与えてくれるのが、哲学ではないかと思っています。現代ほど、その切り札が必要とされる時代はないのではないでしょうか。今世界で長期化している宗教戦争は、双方とも自分たちが正しいと信じ、命をかけて戦っています。そして、世界戦争につながる恐怖を覚えます。
 私が、宮沢賢治に出会い、真に納得出来る答えを見いだしたと思えたのは、そこに哲学的人間定義を実感したからです。それが「私という現象は、仮定された有機交流電燈の一つの青い照明です」と「いかにも確かに灯し続ける因果交流電燈の一つの青い照明です」という表現です。
 私は、この二つの文に人間の凝縮され、総括された真理を感じました。この定義に基づけば、争わないでお互いを容認出来るのではないでしょうか。自分が、現象という刻々移ろい行く存在であり、時代や環境の因果で限定され仮定された存在であり、絶対ではないけれど、誰もが天とつながっている魂という灯りを灯し続け、交流し合う存在であることにかわりはない。自分が信じている宗教も、生まれた時代や場所が違えば、因果故に違ったものになるやも知れない。どの宗教でも絶対なのは、魂でつながっているという次元である。このように考えれば、争いの火種はなくなるのではないでしょうか。
 泥沼化してしまった戦争のまっただ中にいる人たちにとっては、そんな悠長な事を言っている場合ではないと怒られそうですが、指導者の人がこのような根本的、大局的な立場に立ってくれる事を願わずにはおれません。