ごみ問題

 
 私が宮沢賢治の人間定義に納得し、具現的に堅持を生きる方法としてたどり着いたのが、自然と社会、両者につながる道路におけるゴミ拾いでした。約三年近く毎日午前中はゴミ拾いをしていました。それが私を社会参加に導いてくれた路でもありました。
 このゴミ拾いがきっかけで、平成六年に毎週火曜日を活動日とする、ゴミ関心部会「四季の会」が誕生し、平成二十六年の現在まで途切れる事なく活動は続いています。ただ、ごみの内容が、道路のゴミから生活上のゴミに関心が移行していきました。すなわち、米のとぎ汁や生ごみ、廃油などです。
 米のとぎ汁と合成洗剤は、排水を汚す二大犯人。前者は、月に二リットルのEM活性液を渡して、米のとぎ汁発酵液にして生活改善しながら排水浄化もする「米のとぎ汁流さない運動モニター制度」という市との委託事業に発展。もう十年以上継続中です。後者は、廃油を活用して、食器洗いも洗濯も可能な安全で安価なEM液体石鹸の製造、販売による普及に発展。これも十年以上になります。生ゴミは、旧猿島町の頃は、職員が作ったEM生ゴミボカシの無料配布が八年間くらい続いて猿島町は周辺の自治体の中で可燃ゴミの焼却費が飛び抜けて低かったそうです。
 私達の会は、道路のゴミ拾いにしても、他のゴミ問題にしても、どちらも「もったいない」が基調にあることは確かです。道路のゴミ拾いの途上で出会った廃物から「私の宮沢賢治かん」や「石けん工房」や「リサイクルハウス」などの手作りの建物が生まれたのですから。
 もちろん極めつけは、もったいない・ピース・エコ・ショップ事業であり、その同じ名称と仕組みを持ったショップが全国各地にでき、もったいない風が次世代に吹き渡ってくれることです。
 「光と風と雲から透明なエネルギーを得て、人と地球に拠るべき形を暗示せよ」という賢治の言葉に重ならないでしょうか。