何事も行動

 テレビで母一人子一人で生きてきて、成長した息子の仕事の内定を待たずして亡くなった母親の「何事も行動」とい最後の言葉に、涙してしまいました。それは、それまで彼女が生きてきた信条だったんだろうなと。
 私も、特に賢治で生きるようになってからは、そこが起点でした。自分の内なる声を行動に表す事によって、そこに一貫性が生まれ、自己実現につながりました。持続する元気の根本は、そこにあると思います。
 私の三年間のゴミ拾いは、今度は夫の建設力に火をつけ、「私の宮沢賢治かん」という館の建設につながりました。それは、ずいぶん大昔の事ですが、最近久しぶりに、又夫の建設が始まりました。いつものように、廃材を活用しての事ですが。
 鶏肉の薫製窯を備え、又工作したりする小屋をイメージして取り組んでいるようです。久しぶりに写真を載せますね。

 私の方は、相変わらずゴルフ場へ。今日も不調かと思いきや、終わりの頃に何気なく声をかけた人が会社のトップの方で、このショップの主旨を理解して買って下さり、彼の勧めで協力者がたくさん出て、野菜が豊富で新鮮で安価であった事が功を奏して、売り上げが急上昇し、福の神現れるの巻でした。これも何事も行動ということでしょうか。