忙しいの「忙」という字はは、「心が亡ぶ」と書く。私は、二十年以上前に、宮沢賢治の言葉の中に、長い間求めていた生き方の本質を見いだし、それを具現的に生きるにはどうすべきかを模索し、ゴミ拾いにたどり着来ました。自然と社会が混在している道路のゴミ拾いを無心にしていると、自分の中のゴミも拾えて、透明になり、自分の中に埋もれていた魂の次元で思考が始まるように感じたからです。
 ゴミ拾いを通して賢治を生きるようになって、自分たちの身辺に関わる事は全て、自分たちの魂の次元で決めるようになりました。夫がライフワークとして到達した自然卵養鶏場がゴルフ場建設予定地に入った事が、最初の大きな試練でした。そこを自分たちの魂に沿って行動した事が、現在の会の誕生の契機になりました。平成四年に会が発足以来、宮沢賢治的世界観であらゆる事を行動に移してきました。ゴルフ場の問題も含めて、全てが好転し、益々賢治哲学の真理を確信しました。もったいない・ピース・エコ・ショップも、夫の仕事を手伝っているうち、中身は同じなのに形状などで出荷しないB卵や悪臭のない鶏糞や自分達だけでは食べきれない余剰野菜がもったいなく、自分たちのやりがいもないので、その活用法として発想したのが始まりです。それが、皆の共鳴を頂いて、二十年以上も続くとは予想もしませんでした。環境にも良く、世界平和にも関与出来、自分たちも元気になり、お互いの絆も強くなり、本当にいい事尽くめで、私達だけがやっているのではもったいないと、皆にこの存在を知ってもらって、全国各地で「もったいない・ピース・エコ・ショップ」を展開してもらえれば、皆が元気でつながりあえるという結論に達したという事です。これが、会の最終目標となる事業と判断し、このたびNPO法人としての会の定款変更申請の書類も県に提出しました。
 毎日何やかやと忙しいですが、夫も私も少しも心が亡びる事はありません。以前どなたかが言っていましたが、心はコロコロ変わるから心だそうです。心の次元だとそうなるのでしょうか。もったいない・ピース・エコ・ショップは、心の次元ではなく、魂の次元だから、長続きしたのでしょうか。
 でも、今気がつきましたが、たましいという漢字は、鬼が云うと書きますね。誰が考えたのでしょう。私だったら、鬼の代わりに天としますけどね。私の言い分を歌で表現させてもらいますね。

              年を取らない玉手箱

       一、気づかないだけだよ 誰もが持ってるたましい
         天から唯一の贈り物
         ここに 元気のみなもとあり
         ここに 元気のみなもたあり
         年を取らない 玉手箱
         気づかなきゃ もったいない
         気づかなきゃ 生まれてきた甲斐がない
         生きてる間に 出会おうよ

 二番は、又明日に。